もうすぐ月例16カ月の次女M。数カ月前に歩き始めたばかりというのに、今では元気いっぱいで走り回っています。大人の物まねもとても上手です。ところが、言葉は遅いです。食べ物を意味する「マンマ」しか話さないのです。
先週末、家族でニューポートビーチへ遊びに行った時のこと。車中、Mは長男Aとずっとおしゃべりしていました。おしゃべりと言っても、使う単語は「マンマ」だけ。「マンマ~」とMが言うと、それをまねてAが「マンマ~」。そんなやり取りを100回以上も繰り返したと思います。「マンマ」以外では、「ア~」「アッ、アッ、アッ」「ウー、ウー」をはじめ、意味不明の音を出しているだけです。
きのうの夕方、ディスカウントストアの「ターゲット」へ買い物に出掛けた際も、Mは食べ物を中心に行動していました。冷凍食品コーナーに差し掛かったら、そこへダッシュして、「マンマ! マンマ!」と大きな声。
「ママ」も言わずに「マンマ」だけというのは、言葉を覚えるのが早かった長女Aと比べ、ずいぶん遅いです。でも、人が話す言葉はちゃんと理解しているようです。ひょっとしたら、保育園で毎日8時間以上も英語漬けになり、家では日本語ばかりという環境が影響しているのかもしれません。
きのう、長男Aが幼稚園(kindergarten)へ初登園しました。長女Kと同じ小学校に通うことになったのです(アメリカでは幼稚園は小学校の一部)。
登園すると、新しい友達が大勢いて、Aは圧倒された様子。保育園と比べて児童の数が多いのです。保育園で一緒だったAJとサラも同じクラスになり、話しかけてもらったけれども戸惑うばかり。知らない先生とクラスメートばかりの状況に直面して、不安になったようです。
さて、これから親と別れ、教室に入る段階になりました。24人のクラスメートが教室の前に一堂に会し、写真撮影です。ところが、Aはママに抱きついたままで離れません。目からは涙がポロポロ。24人中、ママに抱きついたままだったのはAだけでした。結局、写真は撮れずじまいでした(カメラはママが持っていたから)。
夕方5時半、同じ小学校内にある学童保育の教室にAとKを迎えに行きました。Aは「きょうは泣かなかったよ。おしゃべりもしたよ」と報告。学童保育の指導員シェリーは「Aは恥ずかしがり屋で不安げでしたね。でも、Kがいつもそばにいてくれて、大変助かりました」と補足説明してくれました。小学校ではKは2年生、Aは幼稚園であり、教室は違います。でも、ありがたいことに、放課後の学童保育では一緒に過ごすのです。
けさの登園時、妻がAを教室まで連れて行きました。すると、担任のミセズ・セリースから「初日は大変でした。Aはずっとわたしにくっ付いて、離れなかったのです」との説明を受けました。
Kが小学校1年生になった当初と違い、Aはすでに英語が理解できます。だから言葉の問題ではないはずです。「Aは内気な性格だから、仮に日本で幼稚園へ転園しても同じように涙の初日になっただろうね」――。こんな見方で妻とは一致しました。
予定よりも遅れましたが、新しい助っ人がわが家にやって来ました。日本で長女Kと長男Aのベビーシッターだった大学生O君です。KとAは久しぶりの再会に大喜び。
O君は大学では駅伝をやるほどの体力の持ち主。機内では一睡もしなかったというのに、初日からKとAをプールへ連れて行き、夜は10時すぎまで遊んでくれました。KとAを背中に乗せてクルクル回るなど、さすがです。時差ボケを感じさせませんでした。
Kは「きょうはO君と一緒に寝る!」と宣言し、本当に同じ部屋で寝ました。よほどうれしかったのでしょう。O君は1カ月間の滞在予定です。その間、子供たちは目いっぱい遊んでもらえそうです。
長男Aがようやく保育園で英語を話すようになったことについてはすでに書きました。先日、担任のエルマ先生に感想を聞く機会がありました。
「保育園でAが英語を話すようになったんですね!」
「そうなんです。ある時、聞き慣れない声が聞こえてきたので、『あれ、だれだろう?』と思って振り返ったら、Aだったのです。みんな興味津津でAの周りに集まってきました。初めて聞いたAの声。ラブリーですね。しっかり話しているのでびっくりしました」
「エルマ先生とローラ先生のおかげです」
「卒園を目前にして本当に良かったです。これで安心して幼稚園に行けますね!」
きょう、午前中にクレアモントクラブでひと汗流した後、ガソリンスタンドに立ち寄りました。アメリカではセルフサービスが普通なので、給油中、車の横に立ったまま青空を眺めていました。そしたら、突然「ハウ・アー・ユー・ドゥーイング?(調子はどう?)」と声をかけられました。
声の主は、すぐ横で給油中の男性でした。ジーンズにポロシャツ、年のころ30代なかば。運転している車はスポーティーなクーペ。もちろん初対面です。数分もたてば給油は終わり、2度と会わないでしょう。
「元気でやってますよ。そちらは?」
「最高です。きょうは天気がいいね」
会話はこれでおしまい。でも、これだけで少し気分が良くなりました。さすがカリフォルニア! 日本ではガソリンスタンドの店員にあいさつされることはよくあったけれども、給油中の見知らぬ人にあいさつされたことは1度もありません(ニューヨークに住んでいた時は車を運転していませんでした)。
カリフォルニアは車社会です。日本にいた時と比べケタ違いに車の中にいる時間が多くなりました。車の中で音楽を聞く時間も同様に増えました(実は車の中でしか音楽を聞いていません)。
最近は、レゲエのボブ・マーリーのベスト盤を繰り返し聞いています。1カ月ほど前にボブ・マーリーのCDを手に入れて以来、長女がボブ・マーリーにはまってしまったのです。
長女は最初、小学校で習った「3羽の小鳥(Three Little Birds)」をリピートに設定して、そればかり聞いていました。今では歌詞を完璧に覚えています。「3羽の小鳥」を覚えてしまうと、次は「バッファローソルジャー(Buffalo Soldier)」。カーピンテリアに旅行中、この曲をリピートにして親友のキアナと一緒に何十回も歌っていました。この曲も今ではそらで歌えます。ボブ・マーリーの曲には同じフレーズを何度も繰り返す作品が多く、子供でも覚えやすいです。
アメリカに住み始めた当初は、長女は日本のテレビアニメ「プリキュア」のCD、続いてアメリカのテレビアニメ「ドーラ」のCDばかり聞いていました。それがいきなりレゲエに! 長女に影響されて長男も「3羽の小鳥」などを口ずさむようになりました。親としては車の中でようやく大人の曲が聞けるようになり、うれしいです。余談ですが、レゲエにはリラックスしたメロディーが多く、南カリフォルニアの雰囲気にぴったりです。
ケニーとサラの結婚式に家族で出席しました。こんにカジュアルで楽しめる結婚式は初めてでした。いつもはだしで生活し、底抜けに明るいビーチ育ち の2人の人柄がよく出ていました。
会場は、南カリフォルニアのビーチタウン、カーピンテリア郊外のケニーの友人宅。豪華な邸宅ではないですが、敷地は広大。数十台もの車が余裕で駐車できるほどでした。その友人宅の庭で式が行われました。カリフォルニアならではの青空結婚式です。当日は快晴に恵まれ、遠くには海が見えました。写真は、式が始まる直前です。
会場に足を踏み入れると、サングラスにタキシード姿のケニーがいました。ケニーが革靴を履いている姿を見るのは初めてでした。それよりも驚きだったのは、ケニーにあいさつしている人たちの姿。アロハシャツ、ジーンズ、ポロシャツ、バミューダパンツ――。礼服の人はごく一部の親族に限られていました。カジュアルなジャケット、ネクタイ、チノパン姿のわたしでも、どちらかと言えばきちっとしている部類に入りました。
アメリカには全体としてドレスダウンの文化があります。特にカリフォルニアでその傾向が強いように思います。有名なゲッティ美術館で印象派の絵画を鑑賞する際も、TシャツとショートパンツでOKなのです(わたしの両親は「なんて楽なんだろう」と言っていました)。それを考慮しても、ケニーとサラの結婚式のカジュアル度合いは目立っているのではないかと思います。
驚きはまだ続きました。何と、着席する人たちの手にコロナビールや白ワインが……。会場の入り口で受け取ったアルコール類です。「アルコールを飲むにしても式が始まるまでの間かな」と思っていたら、そのまま式が始まりました。見事なドレス姿のサラが父親と共に入場すると、出席者はアルコールを片手に持ったまま起立しました。
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