きのう、妻がクレアモント大学院を代表する3人の1人に選ばれ、同大学院のドナー(支援者)を前にスピーチしました。新たな人生を切り開くため、夫婦ともに日本で仕事を辞め、家を売り、3人目の子供を生み、大きなリスクを取ってクレアモントへやって来た――こんな話をしたそうです。
タイミングよく、数週間前には妻はクレアモント大学院ドラッカースクールを代表して、ビジネススクールの全米コンペティションに優勝したばかり。それも併せて報告できました。
妻は「スピーチを即席で用意したけれども、『いいスピーチだったよ』と言ってくれる人がいて、ホッとした」と言っていました。ただ、最も受けたのは、次女Mのパスポートには生後直後の顔写真が使われ、それが5年間有効という話だったそうです。
夫としては、妻の活躍はうれしい限りです。コンペの最中に2晩続けてMを自宅で預かり、協力した経緯もありますが、それよりも大きな理由があります。夫婦のワーク・ライフ・バランスを調整する目的に向け、一歩前進できたということです。
わたしは24年あまり、サラリーマンとして全力疾走してきました。文字通り企業戦士のようでした。言い換えると、元気で働ける期間を40年とすると、半分以上を「ワーク・オンリー」でやってきたわけです。おかげで料理はまったくできなかったのはもちろん、食器洗い機の使い方さえ知りませんでした(正確には触ったことさえありませんでした)。
一方、妻はキャリア志向でありながら、長女と長男を出産し、子育て中心にならざるをえませんでした。日本でのキャリアは、同時通訳という自営業でした。自営業であれば仕事に柔軟性があり、子育てにもそれなりに時間が割けるのです。
30代半ばを過ぎれば、新たにキャリアを築くのは難しくなります。女性の場合は特にそうです。この状況に妻は当てはまりました。妻のワーク・ライフ・バランスを調整し、「ライフ」を減らして「ワーク」を増やすには、ぎりぎりのタイミングでした。
要するに、わたしは「ワーク」の比重が大きかったから「ライフ」へ、妻は「ライフ」の比重が大きかったから「ワーク」へ軸足を移そうと決めたのです。夫婦を一体と考えれば、全体としてワーク・ライフ・バランスはあまり変わらない形になります。
幸い、わたしは妻より9歳年上であり、「ワーク」ではそれなりにキャリアを積んでいました。だから「キャリア面ではこれからは妻にバトンタッチしよう」と思えました。夫婦の年齢が同じだと、このようにはいきません。
もちろん、すべて計画通りにいくとは限りません。大きなリスクを取ったのだから当然です。「大恐慌以来の大不況」と言われている環境下では、なおさら不確定要素が多いです。妻の卒業後にどんな現実が待ち構えているのか、不安材料はいくらでもあります。
まあ、先行きを心配してばかりいては前へは進めません。少なくとも妻の「ワーク」へのシフトは順調な滑り出しです。まだ学生ですが、すでに”ボーナス”ももらいました。コンペで優勝しチーム4人で6000ドルを手に入れたのです!