先週の金曜日(8月7日)、5歳の長男Aがついに保育園で英語をしゃべりました。しかもたくさんしゃべったのです。 8月末の卒園を目前に控えて話せるようになり、良かったです。かねて「Aの英語が聞きたい」と言い、やさしく見守ってくれていた担任のエルマ先生とローラ先生にもAの英語を聞かせることができたわけです。
夕方、妻が保育園に迎えに行くと、園庭で何やらぺちゃくちゃと英語を話す声が聞こえてきました。当初、「Aの声に聞こえるけれども、Aがこんなにしゃべるはずがない」と思ったそうですが、声の主はAでした。あいにく担任のエルマ先生とローマ先生に感想を聞く機会はなかったそうですが、帰りがけにほかの先生から「きょう、Aが初めて話しましたよ。それもたくさん!」と声をかけられたそうです。
アメリカに来てからちょうど1年がたちます(保育園に入園してから11カ月)。Aは保育園で一言もしゃべらないまま、ここまでよく頑張ったものです。1日中何もしゃべらないままで過ごすのは、どれだけ大変なことなのか、自分でやってみないとなかなか分かりません。
ある時、エルマ先生が「英語をしゃべらないAはとても頑張っているのです。みんなもしゃべらないでどれだけ頑張れるか、やってみましょう」と言い、Aのクラスメートに実践させたことがあります。すると、クラスメートの誰もがアッと言う間に音をあげたそうです。以来、クラスメートは「Aはすごいんだ」と思いながら、Aと接するようになったようです。
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7月1日にマネジメントの父、ピーター・ドラッカーの自伝『
知の巨人 ドラッカー自伝』が日経ビジネス人文庫から発売になりました。ちょうどドラッカー生誕100年に合わせて出版する格好になりました。
本書は、ドラッカーが他界する直前に出版された『
ドラッカー 20世紀を生きて』の文庫版です。新たにセブン&アイ・ホールディングスの伊藤雅俊名誉会長が「文庫版に寄せて」を書き、わたしが「訳者あとがき」を書きました。
わたしは現在カリフォルニア州クレアモントに住んでいますが、ここはドラッカーにとって「第2の故郷」です。帝都ウィーンで生まれ、ハンブルク、フランクフルト、ロンドン、ニューヨークなどを転々としながら激動の20世紀を生き抜いたドラッカー。最後の数十年を過ごしたクレアモントをこよなく愛していたようです。理由の一つは天候です。
わたしは5年前、クレアモントにあるドラッカーの自宅を訪ね、数週間かけて長時間インタビューしたことがあります。それを基にドラッカーは日本経済新聞で「私の履歴書」を連載し、最終的に本の形にしたのです。出版から数カ月後にドラッカーは他界したため、『20世紀を生きて』は結果的に遺作になりました。わたしが担当したインタビューも、生前のドラッカーにとって最後の長時間インタビューになりました。
当時はクレアモントに住むことになるとはつゆ思いませんでした。それだけに、『ドラッカー自伝』では個人的な思いも込めて「訳者あとがき」を書きました。クレアモント市内で時々会うドラッカー夫人(現在90代後半でありながら健在)の話も盛り込みました。一読していただけると幸いです。
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